自己探求+密教
2006-12-27T22:09:21+09:00
awareness1971
自己探求に自分のエッセンスをプラスしていきます
Excite Blog
仏教のエッセンスを取り込む
http://awareness.exblog.jp/4620617/
2007-12-31T23:59:00+09:00
2006-05-11T02:25:28+09:00
2006-05-10T03:07:50+09:00
awareness1971
始めに
最新記事はこの下からになります
こちらでは、以前より興味があった真言密教からのアプローチを
綴って行こうと思います。
dozenのワークに出会うまで、どのように自己探求を進めて行って良いのか
解らなかった時に、取っ掛かりになったのも真言密教でした。
僕の父と母のお墓も真言宗ですし、小学校の頃よく遊んでいた
お寺もこの間確認したら真言宗でした。
んまそんなこんな、ご縁もあり、こちらからのアプローチも
僕には必要なのかもしれません。
とは言え、巷に在る宗教の教えをそのまま鵜呑みにする気は毛頭ありません。
宗教は長い間人目についている間に、フィルターがかかっています。
人の弱さ、欲、死への恐れ、そう言ったエゴがかかったフィルターで見ていた結果
本来あるべき思想、想いから遠ざかっているような気がします。
だからと言って、批判をしているのではありません。
僕の真実の中なの仏教をもう一度エッセンスとして
見直して行こうと思っているだけです。
そして、アセンションに向けて解消しなくてはいけない、僕自身の
持ち越し(笑)ワダカマリもこの中にヒントがあるように思います。
そして何より【真言宗】と言う言葉や、【お経のCD】を聴いたりしている時の
僕の魂の振るえとでも言うのでしょうか。
武者震いとも違うのですが、しびれる様な、うれしい様な、ドキドキするような。
そんな感覚、エネルギーも感じますし。
これは、いっちょ噛み(笑)しておきますかっと言う感じです
そして、、
僕はいずれの宗教団体にも所属はしていませんし、勧誘もしません。
僕自身の自己探求の一部だと言うことです。]]>
久しぶりに更新
http://awareness.exblog.jp/6253144/
2006-12-27T22:09:21+09:00
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awareness1971
未分類
さて。曼荼羅とは何か。
詳細はwikiでどんぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85
んで気になるのは、【法則がある】っと言う事と
【要素がひとつでは無い】と言う事。
そしてそれは内側に入って行く度に、同じような法則性のモノが永遠に
広がっているのではないかと想像できる。
4次元的なフラクタル構造。
人の心そのままだなぁ。
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本地垂迹
http://awareness.exblog.jp/4745830/
2006-05-21T12:51:15+09:00
2006-05-21T12:51:15+09:00
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awareness1971
それは何かと尋ねたら?
熊野の本宮大社は阿弥陀如来。
新宮速玉大社は薬師如来。
那智大社は観音菩薩。
三輪山の神は地蔵菩薩。
祇園の八坂神社の神、牛頭天王(スサノオノミコト)は薬師如来
仏教が日本に伝来してから、元々あった神信仰と
ぶつかり合うため考え出されたのが
本地垂迹と言う考え方。
全ての根源は仏さまであり
各々の地域に親しみやすいように姿形を還られている。
と言う思想。
日本ではその姿は
ヤオヨロズノカミとして。
これは、争い事が嫌いな日本人特有の融合などではなく
その教えは法華経から来ているとも言われているし
チベットにもこの事が書かれている仏典があると言われている。
神仏に祈る。
この事自体は特に何も感じないのだが
いや、感じるとするならば、清らかな祈り。
ただ、人類が発展する中で、宗教は政治的にも道具として扱われ
物質社会、権威など、人間のエゴのために
聖なる経典は、エゴで書き換えられている気がする。
幸せへの祈りが、いつの間にか恐怖から逃れる為、己のエゴのための祈りに。
その結果、執着を手放すためではなく執着をよりいっそう己に縛り付ける
為のご利益宗教に変えられてしまったのではないか。
その真髄を見つめ続けながら、毎日祈りの読経をあげておられる
お坊様も、いるのでしょうけれど。
それを受け取る側の考え方物の見方にも問題があって。
目に見えない、感じる事が出来ない物を崇め祭る時に
その人の心の動機がエゴから来るものならば
その宗教に、縛られその宗教に縛られる事で安心感を得て。
縛られる事で、物事への執着がよりいっそう深くなっていく。
エゴスパイラルである。
元々、経典の中の【教え】は本人の
自己責任、自由選択、自由意志
を尊重するためであろうか、あいまいな記載が多いのは事実。
エゴから来る人にはエゴを増徴する経典になり
清らかな祈りから来る人には、遍く一切を照らす光明にもなる。
全てはその人の動機で、同じ文章でも内容は180度変わってしまうのだ
その動機がコミットである。
真言密教の【密教】秘密にするとは、こう言った意味で秘密なんだと思う。
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虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)
http://awareness.exblog.jp/4743764/
2006-05-21T05:29:16+09:00
2006-05-21T05:29:16+09:00
2006-05-21T05:29:16+09:00
awareness1971
未分類
弘法大師空海は19歳の時密教行者と出会い
ある真言を教えられ室戸岬の波打ち際の洞窟でいわゆる
【悟り】
を開いたと言われています。
その真言は【虚空蔵求聞持法】
虚空蔵の【虚空】とは無量の意で広大無辺の福徳・知恵の功徳を蔵する所。
そこへ至ると全ての経典の意味が一度聞けば全て理解する事も出来るし
過去も未来の情報も全てがわかると言うところ。
虚空蔵を司る仏様の名は
虚空蔵菩薩
記憶をつかさどる菩薩であり空暗記・
そらんじる、などの言葉は虚空蔵菩薩の空から来ている。
梵名を
アカーシャ・ガルバ
そう、今で言う所の
アカシックレコードではないかと。
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大日如来とはなんだろかと。
http://awareness.exblog.jp/4631378/
2006-05-11T02:22:50+09:00
2006-05-11T02:22:50+09:00
2006-05-11T02:22:50+09:00
awareness1971
未分類
真言宗教えは実は、非常に現在のスピリチュアリズムに通ずることが多い。
その話はまた次の機会にでも。
そんなスピリチュアリズム心を揺さぶる事間違い無しの大日如来の話です。
とは言え、これを書き出すと、
曼荼羅の話になり、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の話になり
各々、男性性と女性性、物質界と精神世界、とを象徴しており、
それを分けて考えたりもしているけれど、実は金胎不二と言って
分けて考える事は出来ない物であり、
この金胎不二は真言立川流で言う所の男女の交わりだったりする訳で。
(これは今嫁さんに聞きました)
大日如来とは釈尊の様に実際の人物ではなく、宇宙そのものとされています。
宇宙の初めからある根本仏性であると。
で、この仏性を体験して世に広めたのが真言宗改組弘法大師だとと言われている訳です。
大日如来の大日と言うのはもとの言葉では
マハーヴァイローチャナ(Mahavairocana)
と言い
【マハー】 は「偉大な」
【ヴァイローチャナ】 は「太陽の」と言う形容句です
ゆえに「大日」っと訳されたわけです。
全ての衆生(生きとし生きるもの)には大日如来の仏性があるとされています。
大日如来の観念は密教以前にもあったものでそれを説いている教典として
【華厳経(けごんきょう)】があります。
華厳経の中心の仏様は毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)です。
じつはこの毘廬遮那仏は先ほどの【ヴァイローチャナ】の音を移しているだけなのです。
奈良の東大寺の大仏様が毘廬遮那仏ですね。
そして不動明王は大日如来の変化の姿で
大変おそろしい形相をしていますが、これは明王の心所で、右手に持つ
知恵の剣により、衆生の三毒といわれる貧(とん:むさぼる心)・瞋(じん:
いかる心)・癡(ち:むち、仏の教えを知らないこと)を滅し、左手に持つ
羂索という綱によって降伏しない者を縛り、仏の世界に引き上げるなど、
強引な程の人々に対する救済の心の現れであり、また魔を威嚇して退散させる
お姿でもあるのです。
全てでは在りませんが私が認識している大日如来です。
次回はこれを別な視点で考えてみたいと思います。]]>
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